海外に影響を与えた日本の美術工芸品と佐賀

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 私は、幕末明治期の佐賀に興味を持ち、歴史散策を楽しんでいる。そ の延長で本年四月中旬、米国ロサンゼルスを旅した。
   幕末明治期の佐賀と米国とのつなかりとは不思議に思われるかもしれ ない。しかし、佐賀藩英語塾致遠館で教鞭をとったのは、オランダ系アメ リ力人宣教師フルベッキであるとか、佐賀藩士山口尚芳や久米邦武等 は岩倉使節団で米欧を回覧したこと等々を思い浮かべれぱ、佐賀の近 代は、早くから米国とかかわりを持っていたことかわかる。

  私が米国との関係に興味を持ったのは、大隈重信の最初の妻美登の弟 、江副廉蔵を知ったことからであった。
 大隈重信は明治の元勲として、また、早稲田大学の創立者として著名 な人物であるか、大隈の糟糠の妻、美登を知る人は少なく、ましてや江 副廉蔵を知る人は彼らの縁者および、地元の郷土史を丹念に調べてい る人々くらいであった。
 美登・廉蔵姉弟か育った所は鹿島市音成であり、ここには江副家の墓 地かある。美登は明治政府の要人となり、中央に出て行く大陽に同行せ ず離婚し、鹿島藩士犬塚綱領と再婚した。その墓は鹿島市古枝鮒越に ある。私はこれらの墓へと案内していただき、江副廉蔵について調べ始 めた。そのことは拙著『大隈重信と江南廉蔵ー忘れられた明治たばこ輸 入王ー』(2008年12月洋学堂書店出版)で詳しく述べているので、ご一 読いただければ幸いである。

 さて、江副廉蔵か何者であるか調べる中で見つけたのか有田の郷土史 家・松本源次氏の書かれた「万国博覧会と有田焼」であった。
 この中に、1876年(明治9)、アメリカで建国百周年を記念するフィラデ ルフィア博覧会か開催された折、有田から結成されたばかりの合本組織 香蘭社社員の手塚亀之助、深海墨之助、深川卯三郎の三名が参加し、 通弁(通訳)として元佐賀藩士の江副廉蔵が同行した事が書かれていた 。
 博覧会終了後一行はアメリカ国内の製陶工場を視察しニューヨークの 商況を目の当たりにし、陶磁器の販路が極めて広い事を実感した。そこ で彼らは、博覧会のために渡米していた起立工商会社社長松尾儀助( 元佐賀藩士)と今後の事業について相談し、松足はニューヨークに店を 開き香蘭社製品を販売し、手塚、深海らは有田へ帰って生産体制を整 える約束をしたとのことである。
 国レベルでは幕末からアメリカとの交流はあっても、一般のアメリカ人に とって、日本を知る第一歩はフィラデルフィア万国博覧会からであった。 参観した人々は緻密な細工の施された日本の美術工芸品に魅せられた 。

 ところで、一昨年、九州国立博物館で「プライスコレクション『若冲と江 戸絵画』」展が開かれた。アメリカ・カリフォルニアのジョー・プライス氏が 半世紀前、当時日本の美術史家たちにも見過ごされていた江戸時代の 個性的な画家たちの作品に魅せられ、収集を始めたのがプライスコレク ションの始まりであった。解説の中に、プライスは、執行弘道と親交のあっ たフランク・ロイド・ライトの影響を受けたとあった。
 ライトは帝国ホテルの設計者として日本でも知られ、アメリカ大陸と日本 に数多くの作品を残し、世界の近代建築の三大巨匠に数えられる建築 家であるとともに、浮世絵の収良家としても名高い。プライスの父親か自 社ビルの設計をライトに依頼したことで、プライスとライトとは親交を持った らしい。
 また昨年、テレビのNHKスペシャルで「よみかえる浮世絵の日本ー封 印か解かれた秘蔵コレクション」と題する番組か放送された。これは、ボ ストン美術館に1921年に寄贈されて以来、寄贈者のスボルディング兄弟 の意思で封印されていた六千五百枚の浮世絵に関する番組であった。 番組の中で、このコレクションには、ライトや執行弘道か関わっていた事 か紹介されていた。

 米国で日本の美術品のコレクションに関わった執行弘道とは起立工商 会社ニューヨーク支店長として活躍した人物である。彼もまた元佐賀藩 士であった。
 起立工商会社とは、1873年(明治6)のウィーン万国博覧会を契機に起 こった会社である。
 ウィーン万国博覧会終了後、好評を博した日本庭園を、イギリスのアレ キサンドル・パーク社かそっくり買い取りたいと申し出て、博覧会事務局 に商品の保証を求めてきた。しかし、政府として参加している博覧会事 務局は関与できず、「茶商」として派遣されていた松尾儀助か会社をつく る事を提唱し「起立工商会社」を設立し、自らその社長となり売却した。 また、博覧会で売れ残った品々も売買したのである。
 ウィーン万博の総裁は大隈重信、副総裁は佐野常民であった。
 佐賀では、有田焼の海外とのかかわりの紹介では、江戸時代、東イン ド会社を通じて、世界に出て行ったことか中心的に話られ、明治のころに ついてはあまり語られていない。

 私は、「幕末・明治の肥前 こぼれ話」というブログ(インターネット日記) を開いており、そこには日々調べたことなどを思いつくままに書き連ねて いる。博覧会の事、有田焼の事、起立工商会社についても書いていた。
 昨年春、ここにコメントか届いた。コメントはアメリカ在住で明治期に日 本から渡った焼き物について研究され、自ら当時のティーカップを中心 に集められている近藤裕美さんという方からたった。
 近藤さんは、古いものに興味かあり、自宅近くの大学のパーキング場で 月に一度開かれるアンティークショーに度々出かけ、そこで出合った日 本製カップの貝殻のような薄さと緻密な絵柄から、明治期の焼き物につ いて調べてみたいと思い、カップを集め始めたそうだ。彼女によれば、起 立工商会社はアメリカでは、The first Japanese Manufacturing and  Trading Company と呼ばれ、海外では良く知られているという。
 主婦業の傍ら、明治期の日本の輸出品についての研究を重ねられた 近藤さんのコレクションは、日本でも紹介され、昨年、横浜開港百五十周 年記念プレイベントとして神奈川県立歴史博物館で開催された「東京・ 横浜 明治の輸出陶磁器」展にもその一部か展示された。その時彼女は 来日し、私は彼女に会いに行った。
 展示された輸出陶磁器は、主に海外で収集され、里帰りした品々であ った。いずれも輸出向けに作られた陶磁器で、色も形も海外の人々の好 みをうまく捉え、国内に残る明治期の陶磁器とは異なって見えた。勿論、 輸出品であるからこれらの仕様の陶磁器は、ほとんど国内には残ってい ない。ここでも、起立工商会社か大きく紹介されていた。
     今回の旅で、私は近藤さんとも会い、資料交換をする事かできた。近藤 さんは当時の資料を掘り起こし、歴史に埋もれた人々の足跡を調査され ていた。

 更に私はロサンゼルスにあるポール・ゲティ美術館へ行ってきた。この 美術館は石油王だったゲティ氏が1930年頃より収集したコレクションを 基に展示する私設美術館であるが、十年の歳月と十億ドルを費やしたと いう建物の中に、世界中から集められた中世から近代までの貴重な美術 品が展示され、教科書等で見たことのある絵もいくつもあり驚いた。しかも 入場料は無料である。
 一通り館内を見終わった後、売店に立ち寄った。日本の美術品につい ての資料を探していたところ、「THE INFLUENCE OF JAPANE SE ART ON DESIGN」という本を見つけた。手にとってページをめ くると、起立工商会社の石版刷のラベルの写真が載っていた。フィラデル フィア博覧会当時のラベルである。
 本文中には起立工商会社(Kiritsu Kosho Kaisha)と呼ばれる政府に よって設立された私設の輸出会社を通して、日本は最高の品物を販売 したことなどが書かれていた。
 海外では知られている起立工商会社であるが、国内では研究者以外 にはほとんど知られていない。それはなぜであろうか。
 起立工商会社設立にあたっては、政府からの財政的援助が総額四十 万円にも上り、パリとニューヨークに支店を持っていたにもかかわらず、こ の会社は設立から二十年足らずの、1891一年に閉鎖に追い込まれた。 その理由は放漫経営にあったと言われていることも、国内で評価を得な い一因ともなっている。
 また、海外にある日本の美術品が紹介され、評価されると「日本の美術 品が流失してしまった」と嗅く日本人は多い。もし、そういう理由で、日本 の美術品の輸出を担った起立工商会社を評価しない人がいるとしたら、 その認識は間違いである。
 近藤さんから、TREASURES OF IMPERIAL JAPAN (帝国日本の宝物 )という、ロンドン在住の実業家、ナセル・ハリリ氏のコレクションの図録を 見せてもらった。ハリリコレクションには、明治の工芸会を代表する名工た ちの作品が収集されており、陶芸では宮川香山の作品か多々ある。それ らは西洋向けにアレンジされているのである。これは、有田陶磁美術館 の開館五十周年記念「宮川香山展」の図録と見比べるとよくわかる。宮 川香山も起立工商会社に関係した職人の一人である。
 国際社会にデビューしたばかりの日本にとって、世界の人々に日本と いう国をどうアピールするかは重要な課題であり、明治の人々は短時間 の内に、西洋人の好みを学ひとり、日本の伝統工芸と融合させ、新しい 作品を生み出していたのである。

 東京都港区麻布にある鍋島家の菩提寺賢崇寺には松尾儀助や執行 弘道をはじめとする起立工商会社に関わった人々が多数眠っている。明 治期の工芸に関する研究が進んできている現在、起立工商会社とそれ にかかわった人々が評価され、国内の人々の問にも知られる日も近いで あろう。
 明治期の佐賀に関することは、佐賀以外の地に沢山残されている。私 はそんな話を拾って、佐賀の人々に紹介したいと思っている。

葉隠研究68号に寄稿

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