谷口清八(1845−1911)

「鉄管王」の異名も
  城下町佐賀の中で最も早く町づくりが始められた所は六座町、長瀬町周辺である。 1591(天正19)年、佐賀藩の藩祖、鍋島直茂が六座町に独占的な商人の集団、鉄砲座・金銀座・木工座・硝煙座・縫工座・穀物座を設け、 長瀬町には刀鍛冶の肥前国忠吉、橋本一族と鋳造の谷口一門を住ませた。
 谷口一門は幕末には大砲鋳造を支えた鋳物師となった。 この一門の11代当主谷口清八は、明治16年に、この地に敷地6千坪の谷口鉄工所をつくり、諸機械の製造を始め、鉱山用機械や鋳鉄管などの製造に着手した。 事業は九州の石炭産業とともに、大きく発展した。 特に鋳鉄管は外国製品よりも品質がよく、清八は「鉄管王」の異名をとった。
 また、銅像などの鋳造も手がけた。 現在、福岡市東公園に建つ日蓮上人の銅像(10.6m)は、奈良の大仏(14.9m)、鎌倉の大仏(11.4m)に次ぐ、国内第三位の巨大青銅像である。
 この像の製作を引き受けたのは東京美術学校校長岡倉天心であった。 明治25年に起工式が行われ、東京美術学校の教授たちが原型を製作し、伝統的技法で鋳造を行ったが、 製作は困難を極め、結局、頭部と両手首のみが東京で鋳造されただけであった。 本体部の鋳造は、高い技術を見込まれた谷口鉄工所が近代的工業技術を用いて製作し、1904(明治37)年に、これを完成させた。 この像は分鋳された30個近い部品を、推定400〜500個のボルト・ナットで接いであるといわれ、有形文化財に指定されている。
 また、日露戦争時には砲弾の製造も行い、谷口鉄工所は明治末年には職工五百人を抱える西日本大手の工場となり、長瀬町周辺は栄えた。 11代清八が明治44年、66歳で死去した後も、谷口家は12代、13代と続いたが、1929(昭和4)年、大恐慌のあおりを受け、鉄工所は閉鎖された。
 現在、有田の陶山神社にある重要文化財、高さ2メートルの青銅製燈籠は、明治17年、谷口清八の作である。 また、英彦山神社(福岡県田川郡添田町)や大堂神社(佐賀市諸富町)の青銅の鳥居も谷口一門の作である。