松尾儀助(1836―1902)

万国博覧会で商才発揮
 明治維新後、日本が国家として本格的に参加した最初の博覧会が1873(明治6)年のウィーン万国博覧会である。
 国際社会へのデビュー戦であるので、日本の文化と伝統工芸の紹介のため、 名古屋城の金の鯱、浅草観音の大提灯、鎌倉大仏の張りぼての展示や、神社を配した日本庭園を造成するなど明治政府の力の入れようは大変なものであった。
 日本の展示物は大好評で、会期の終了後には、イギリスのアレキサンドル・パーク社が日本庭園をそっくり買い取り、 ロンドンに移築し、ここで日本製品を販売したいので、その商品に博覧会事務局の検印を押し、商品の保証をして欲しいと申し出た。
 これに対し、博覧会事務局副総裁佐野常民ら日本からの派遣団は、政府として関与は出来ないが、日本の信用にかかわることだと頭を抱えた。 そこで、茶商として参加していた松尾儀助が、政府の後押しを受け「起立工商会社」を設立し自らその社長となり、 日本庭園を六百ポンドで売却し、その他の日本商品の売買契約を結ぶなどして博覧会の後始末を終えた。
 松尾儀助は佐賀藩足軽出身で、7歳で父親を亡くした後、親戚の野中元右衛門に養育され、幕末には長崎で元右衛門の片腕として貿易に従事していたので、 博覧会事務局総裁大隈重信とは旧知であり、その商才も知られていたため、送り込まれていた。
 起立工商会社は政府と密接なかかわりを持つ会社で、主な取扱品は茶、絹、美術工芸品であった。 1877年にはニューヨークに、翌年にはパリに支店を開き、諸外国より多大の褒賞を受けたにもかかわらず、1891年に経営不振により解散した。 欠損金額は54万円であった。
 現在、海外の博物館には、起立工商会社が関与した美術工芸品が多数残っている。 画家のゴッホが起立工商会社と墨書きされた板の裏に描いた絵が残っている。この板は嬉野茶の茶箱の蓋であるという説がある。
 起立工商会社と松尾儀助、明治の美術工芸についての研究は現在研究されているところである