片岡源次郎(1867―1924)

米ジャポニズム生みの親
 鎖国が解かれると日本は西洋化の道を突き進むが、海外に日本の文化や美術工芸品が知られるようになると、 西洋の人々は異国趣味として見た目の物珍しさで日本の物品を評価した。これはジャポネズリーと呼ばれる。
 ジャポネズリーから日本趣味・日本心酔のジャポニズムが生まれた。 ジャポニズムは単に一時的な流行ではなく、当時の全ての先進国で30年以上も続く運動となり、欧米ではルネサンスに匹敵する芸術運動の発端となった。
 片岡源次郎はアメリカの近代美術界にジャポニズムの種を蒔いた一人として評価されている日本人画家であり、 サガテレビがその足跡を追い、2000年4月に『ゲンジロウへの旅』と題するドキュメンタリー番組を放映している。
 片岡源次郎は1867(慶応3)年に有田に生まれ、10歳のころから起立工商会社に象嵌職人として関わっている。 起立工商会社とは1873年のウィーン万博を契機に佐賀出身の松尾儀助が立ち上げた、絹、茶、美術工芸品の貿易会社であり、 本社は東京にあり、ニューヨーク、パリに支店があった。当時、美術工芸品は作家ではなく職人によってつくられ、子どもたちも立派な労働力であった。
 アメリカでは1876年のフィラデルフィア博覧会以降、日本の美術工芸品の人気が高まり、1885年にミカドというオペラが流行した後は、 安価な日本風雑貨の団扇、扇子、着物などオペラで使用されたものを飾る家庭が増えた。
 源次郎は起立工商会社が解散した1891(明治24)年に渡米し、画家を志し、ニューヨークの歴史ある美術専門学校で学び、 画家、小説の挿絵画家、舞台デザイナーとしてブロードウェイで活躍した。
 1909年にアメリカで出版されたONOTO作の"LITTLE SISTER SNOW"に日本の風俗を細やかに伝える挿絵を源次郎は描いている。 日本が西洋化する中で、片岡源次郎は、海外の人々の要求に応え、日本の伝統美を伝える努力を惜しまなかった。  1911年に帰国した後は東京で逓信博物館に勤務し、1924(大正13)年、57歳で亡くなった