江副廉蔵(1848〜1920)

たばこ輸入で莫大な財築く
 明治維新以降、日本は近代化にまい進した。この時期の近代化とは西洋化を意味する。 日本人は無類の煙草好きで細く刻んだ煙草葉をキセルに詰めて吸っていたのだが、洋服にキセルは似合わない。 そこで紙巻煙草の需要が出てきた。 この煙草の輸入で莫大な財を築いたのが江副廉蔵である。
 江副廉蔵は1848(嘉永元)年、佐賀藩士江副杢之進の次男として生まれ、幕末に長崎にあった致遠館でフルベッキに学んだ。 1876(明治9)年にはフィラデルフィア博覧会に香蘭社の通訳として同行し、博覧会終了後ニューヨークの商況を目の当たりにして帰国した。 1878年には三井物産ニューヨーク支店主任として渡米し貿易に従事した。
 1885年、東京銀座に米国煙草直輸入店を開店する。 当時、不平等条約により輸入品の関税は低く、安くてうまい米国煙草ピンヘッドは特に庶民に広く浸透し莫大な利益をもたらした。 1899年、アメリカンタバコ社と京都の村井兄弟社が資本提携すると廉蔵の江副商店はその傘下に組み入れられた。
 たばこが専売制となったのは1904年で、その大きな理由は日露戦争の戦費調達のためである。 当時全国には大小五千ものたばこ業社があったという。 このとき廉蔵は自らの富の源である煙草の利権を政府に差出、さらに国会に建議し、失業したたばこ業者の救済に当たらせた。
 廉蔵の姉美登は大隈重信の妻であったが、重信が新政府の要人となって上京する時に離縁した。 しかし、廉蔵は終生大隈重信と深い交流があった。 また、姻戚には伊藤博文、児玉源太郎、夏目漱石、日下部三九郎がいる。
 1920年、廉蔵が没した後、昭和恐慌にのみ込まれ江副商店は倒産した。 虎ノ門にあった廉蔵の住居の跡には現在ホテルオークラ別館が建ち、鹿島市音成の廉蔵、美登の実家跡に建つ小池家は今も江副と呼ばれている。