初代沖縄県知事 鍋島直彬県政の課題

着任直後の重要な3つの任務は
@ 旧琉球王尚泰を上京させ、東京に永住させる。
A 民心の安定
B 県庁を設置、県政機構を整備
県政が軌道に乗ってきた段階での重点
@ 旧風習の排除
A 農村の振興
B 教育の普及

また、コレラが直彬着任の5月から沖縄全域に蔓延し、当時の沖縄県の人口31万余人のうち患者1万千二百余人。 死者6千4百余人を数える惨状を呈した。鍋島もコレラに罹り三週間ばかり引きこもった。

初等普通教育の普及

直彬の県政の重点の一つは教育。 沖縄の学制の整備は、 明治13年2月  県庁内に「会話伝習所」を設置し、又「沖縄対話」を編集して教科書として使用。 明治13年4月  会話伝習所は小学師範学校として発足、教員養成が始められた。 明治13年7月  沖縄県師範学校附属小学校設置の前準備として付属小学校予備門を設置して30名の生徒募集をした。 明治13年12月  首里国学に中学校設立。 明治13年 県下に14の小学校を設立する。

医療について

鍋島直彬荷随行した医官織田良益は緒方洪庵の適塾でコレラについての勉強をしていた。 良益が沖縄へ赴任早々大流行したコレラは、県令までもが罹患するほどに猛威を振い、医官たちは昼夜を問わず治療にあたった。 治療の効果があり、県令をはじめ多くの人が助った。
医官らは県民にコレラ予防のために生活上注意すべきことをこと細かくあげ、不幸にして罹患した場合はコレラ液(黒糖湯)などを内服し、 医者を待つようにと指示している。 そして、呪術や民間薬による治療が横行していたなかで、東京にいた緒方洪庵の門弟、 長与専斉や石黒忠悳と早便にて連絡し、結局、黒糖湯に阿片チンキを加えた薬を多量に与え安静にさせ、患者を船に隔離し、漸くコレラを鎮静化させた。