マツヨの年譜

西歴
1898 8月佐賀県千代田町に出生
父転勤の度に母の実家に預けられる、小学校の間に転校6回)
友人ができず本を友だちにする.
女教師を目標とする
1913 神埼神陽学館女学校入学
1914 佐賀師範学校女子部に仮入学
聖書を愛読する
1917 佐賀師範学校本科第1部卒業 西郷小学校赴任
ヴァイオリンを習い、音楽家を目指す
(京都府宮津小学校、大阪府築港小学校福岡千代小学校にも赴任するが年代不詳)
理想を求め佐賀を出る
1921 大阪婦人新報記者 9月佐喜眞興英と結婚(福岡)
多くの婦人生活を知り封建制の打破を志す
1922 3月興英、東京地裁判所勤務のため東京へ転居
語学、民俗学、経済学を夫や夫の友人より学ぶ
1923 3月興英、大阪地方裁判所勤務のため大阪へ転居
6月興英、岡山津山区裁判所勤務のため津山に転居
夫の助手を務め原稿の整理、清書を引き受ける
1925 6月興英肺結核のため死去 葬儀のため沖縄へ渡る
1926 6月興英の遺稿集『女人政治考』出版 (横浜市立浦島小学校勤務)
25歳以下の独身女性という官学への道を閉ざされる
1929 関東学院英語学校(現関東学院大学)夜間部卒業
昼間は、経済的安定のため教師として働き、夜間、学校で学ぶ、佐喜眞姓で通す
1930 中等教員文部省試験検定合格 
家事一般横浜市立専修学校(調理科)卒業
(この頃慶応大学生理学教室にも聴講生として学ぶ)
1931 3月浦島小学校退職
4月帰郷し神埼高等女学校に赴任
1936 2月高等科、専攻科教員文部省試験検定合格
この頃再婚
1945 2月佐賀県婦人連盟結成
1946 4月衆議院選挙に佐賀選挙区から勝谷マツヨとして立候補 23490票を獲得し、37人中9位
9月佐賀栄養専門学院創立
1947 調停委員
各地で料理講習会を開く
1953 厚生省指定佐賀栄養専門学校認可
1963 佐賀短期大学設立
1968 佐賀家政大学(現西九州大学)設立
11月勲4等瑞宝章受賞
1970 11月佐賀新聞社文化賞受賞
佐賀が私を認めてくれたとこのほか喜ぶ
1983 6月死去(享年84歳)

参考文献・資料

『あすなろう』 永原マツヨ著 永原学園 昭和46年10月15日発行
『うたごころ一集〜五集』 永原マツヨ著 昭和46年8月発行
『佐喜眞興英全集』 著者佐喜眞興英  新泉社 1982年12月発行
『女人政治考』  著者佐喜眞興英  岡書院 1926年6月発行
「永原マツヨ履歴書」
「佐喜眞興英勤務記録履歴書」
朝日新聞 48/11/1 「さがの女」
佐賀新聞