女性史研究グループ くすかぜ

「元始女性は太陽であった」これは1911年に創刊された雑誌『青鞜』によせた平塚らいてうの言葉です。
大正時代に青鞜社の影響を受け、女性のエンパワーメントを真剣に考え、実践した女性が佐賀にもいました。  彼女の名は永原マツヨ。彼女の功績を明らかにし、佐賀からの情報を発信する女性グループがくすかぜです。  「針葉の意志」はグループくすかぜの研究です。

女性の優位性訴える夫の遺稿集をまとめ出版した永原マツヨ

 沖縄出身の裁判官で、民族学者でもあった佐喜眞興英(さきまこうえい)は「女人政治考」という本を残しています。
 1926年(大正15年)に出版されたこの本には、元始期においては女子は男子より優秀の位置に立ち、系統は母によって伝わった。 社会も男子の暴力によって支配されていたのではなく、女子の霊力によって治められていたことを、 諸外国の研究者や探検家の報告と日本の古文献を整理検討して書かれています。「元始女性は太陽であった」ことの証明をしているのです。
 女子の能力が男子に劣るという考えは後から作られたことであるとして、ジェンダーを問題提起しているのです。 今以上に封建的な時代に書かれているのですから、画期的な本です。
佐喜眞興英は1925年(大正十四年)に三十一才の若さでこの世を去りましたが、その妻松代は、命を縮めるほどに研究した夫の遺稿集を抱え、 民族学者柳田国男を訪ね、氏の協力を得て興英の一周忌に「女人政治考−人類元始規範の研究」として世に送り出すのです。
 その序文に柳田国男は「独り佐喜眞君夫妻にあっては夙に毅然として決するところがあったらしい。婦人松代子が隠れたる学者の真価を疑わず、 その愛と感化を受けて終始従順なる助手を以て自ら任じ、筆写整頓の一切の煩務を引き受けた上で今又此の書を公表したる後、 更に之に基自らも同じ学問に進まんとして居るのは、誠にいさぎよい日本女性の一例であると思ふ」と書いています。
 この松代こそ永原学園の創始者、永原マツヨなのです。この話を聞き、感動を共有しあえる女性五人の「くすかぜ」という研究グループが生まれ、 1996年、佐賀県立女性センターアバンセの支援を受け、調査研究活動を行いました。 資料を集め、聞き取りによる調査を行った結果、興英との短い結婚生活で得た精神的遺産を継承して佐賀で学校を創ったマツヨの思いが解ってきました。 また調査の中で、マツヨの元に興英の法衣があったことを知り、見つけだしたのです。興英の遺品は何も残っていなかったため、 法衣の発見は沖縄の方々に大変喜ばれました。二人の先覚者を巡って、沖縄と佐賀で幅広いネットワークができあがりました。 研究成果は「針葉の意志」という小冊子とビデオテープにまとめられております。

研究について

研究のきっかけ・研究の目的・研究の方法

マツヨの生涯

マツヨの生い立ち・佐喜眞興英との出会いと結婚
佐喜眞興英の意志を引き継ぎ活躍するマツヨ
マツヨの家庭生活
マツヨの社会的活動・まとめと今後の課題
年譜と引用文献・参考資料