こぼれ話B フルベッキの肖像画と外国で日本を伝えた日本人

幕末に日本にやってきたオランダ系米国人宣教師フルベッキは日本の近代化に大きな役割を果たした人物として知られているし、 佐賀藩とのかかわりの深さもよく知られている。また、フルベッキが写る写真は何枚もあり、その容貌もよく知られている。写真の他に、 上半身の肖像画も時々見かける。
私は過日、フルベッキを研究する村瀬寿代さんと一緒に、この肖像画の原物を見るために長崎県立歴史博物館を訪ねた。 驚いたことに、これは掛け軸に仕立てられた日本画の一部であった。しかもおかしな絵である。フルベッキが履いている下駄は、 女性用の「ぽっくり」のようであるし、着物には縁取りが施してあるようだった。
また表装も面白く、刺繍や絞り、更紗などの布をまるでパッチワークでもするようにはぎ合わせてあり、銀箔が施してある。
銀箔は酸化して黒ずんでいるが、作られた当初は光り輝いていたと想像できる。

この絵の作者が日本人ならば、このような絵を描くはずは無く、独創的な表装も無かったであろう。 この絵はいったい誰が何のために描いた画であろうか。残念ながら長崎県立歴史博物館では持ち込まれた経緯などはわからないということであった。

西洋の人々にとって、東洋の民俗や文化は興味深く、特に開国間もない頃の日本への興味は尽きなかったであろう。 パリやウィーン、フィラデルフィアでの万国博覧会などでも日本館は人気があったようであるし、西洋人が日本の絵を描いて、 西洋人に紹介していたこともあったかもしれない。その場合、日本人の目から見れば、少しおかしな着物姿であったりしていても仕方がない。 着物の裾がスカートのような絵や、中国と混同されているよう絵を時々見かけるが、そのためであると思う。

ところで、今年元旦より、佐賀県立博物館では「近代との遭遇−世界を見る・日本を創る−」と題する展覧会があった。 幕末から明治にかけて海外へ渡った佐賀人が見た世界を紹介し、明治期にヨーロッパで絵画を学んだ百武兼行、久米桂一郎、 岡田三郎助ら洋画家の名品が紹介された。
これらの絵画の中に、藤雅三の作品が1点あった。久米桂一郎、岡田三郎助はパリでラファエル・コランを師と定め、 油絵を学んだが彼らをラファエル・コランに紹介したのが藤雅三である。久米や岡田がパリ留学後帰国し、日本の西洋画界の頂点へと上っていくのに対し、 藤はフランス人と結婚しアメリカへと渡り、その生涯はよくわからないとのことであった。
藤雅三は1853年大分県に生まれ、帆足杏雨に師事した日本画家であったが、後に工部美術学校で本格的に洋画を学び、 工部省留学生として1885年、絵を学ぶためパリへ渡っていた。もし、帰国していたならばその将来は保証されているようなものであったが、 帰国せず、アメリカで亡くなっているので、不遇な人生を送ったのではないかと想像されていた。
私は藤雅三についてとても気になり、米国で明治の頃に日本から渡った焼物をはじめとする美術工芸品について研究されている、 近藤裕美さんに藤雅三についての情報がアメリカにあったら知らせて欲しいと連絡をしてみた。すると、すぐに情報が寄せられた。
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